もしあなたの目の前に神様が現れて、あなたに「好きなだけの金をやろう。金額を言え。ただし言うのは一度きりだ」と言われたとします。
あなたはいくらというでしょうか。あなたは考えるはずです。現代資本主義を生き抜くあなたは人並み以上に合理的であり、あらゆる状況において最善解を見つけ実行することを自らの矜持としています。
1000万?いやそんなものはすぐなくなる。
1億?いやまだまだ。3億あれば生涯賃金、働かなくて良いが、それだけであって贅沢はできない。じゃあ10億?これでもビル一棟建てるかどうかだ。100億。1000億。
いやいくらでももらえるのだから、とにかく多く言うに越したことはない。10兆円。ビルゲイツならそれくらいある。しかし、私は神様にもらえるのだから、そんな「現実的」な額で満足してはいけない。100兆、1000兆…。兆の次の単位は何だったっけ。1京、10京、100京、1000京…。京の次は、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議……
さあ、合理的なあなたは困りました。お金は多ければ多いほど良いのは確かであるので、10につく階乗の値は大きければ大きいほど良いのです。しかし、その値は無限に大きくなるため、合理的なあなたとしては、ついに一つの答えを言うことができません。頭で浮かべる数字の末尾に着く0の数が増えていく中で、ついに金額を決定できず、神様は待ちくたびれて去ってしまいました。
無論、これは思考実験であり、ツッコミどころはキリがないのですが、それは構いません。結論から言うとこの思考実験で考えたいところは、「人生におけるお金以外の自分の価値観」です。京、垓、秭、穣のレベルになると、最早言葉の遊びに過ぎません。そこの段階までいくと、金額の大小は関係なくなり、純粋に我々はその無限の富をどのように使うかを具体的に考え始めます。
例えば、私であれば、まずは自分の暮らしを豊かにした後、やはり社会貢献を考えます。私であれば、大学を作りたいと思います。世界一充実した大学です。自然豊かな敷地。最先端の設備。古今東西の情報にアクセスできる図書館。無料の食堂。ホテルのような学生寮と研究室。ノルマのない待遇。個々人が各分野において心置きなく研究に打ち込める環境です。その大学を中心として徐々に周囲の街並みも発展させていき……
これは即ち、私の関心分野は、その方面、学術や研究にあるということを示すでしょう。人によっては、それが、芸術の方面であったり、スポーツの方面であったり、自然環境の方面であるかもしれません。十人十色です。ただし、重要なのはその人が興味のない答えは導出されないはずだという点です。
一見、荒唐無稽で幼稚な発想に見える冒頭の問いですが、この問いに真剣に向き合って考えることは、自分が人生でどのようなことにお金を使いたいのか、と言う具体的な作業を導出します。そして、その延長において、自分が本当にやりたいこと、自分の価値観が導き出されるでしょう。